「ユダヤ人問題の最終的解決」推進者をアルゼンチンで拉致
1960年5月11日、アルゼンチンでリカルド・クレメント と名乗る男がイスラエルの諜報機関モサド によって拉致された。
その男の本名は、アドルフ・アイヒマン 。
ナチスの親衛隊中佐で、いわゆる「ユダヤ人問題の最終的解決 」つまりユダヤ人抹殺を推進した男だった。
筆者註
アイヒマン拘束については、映画『アイヒマンを追え! 』を参照
「ナチスがユダヤ人に何をしたか、世界に見せるのです」
アメリカのテレビプロデューサーであるミルトン・フルックマンがイスラエルの首相ベン=グリオンを訪ね、あることを説得していた。
「ナチスがユダヤ人に何をしたか、世界に見せるのです。そのためにテレビを使いましょう。テレビだけがそれをなし得るのです」
こうして撮影許可を得たミルトンは早速、ドキュメンタリー映画の監督レオ・フルヴィッツの電話でオファーを入れる。
レオは優れた監督だったが、“赤狩り”の影響を受けてアメリカでは干されていたこともあってオファーを受ける。
政府とは契約済みだが判事の許可が下りない
イスラエルに飛んだレオは、入管の係員から裁判の件でかと聞かれ、そうだと答えると、「射殺して南米に捨てりゃ良かった」と言われる。
迎えのペリーに車で連れて行かれたのは、ミルトンの事務所。
そこでミルトンの秘書のジュリーや顧問弁護士ダヴィド を紹介される。
その席で政府との撮影の契約は済んでいるが、判事の許可がまだ取れていないことをミルトンはレオに伝える。
政府との契約には3人の判事の許可が必要という条件が付されていたが、先日判事が見に来て、カメラが目立ちすぎると言われたのだった。
「はるばる飛んで来たのに、許可がない?」
「まだね」と苦しい言い訳を言うミルトンに、
「まだ? そりゃ安心だ」と皮肉るレオ。
「コントラストに問題が」とスタッフの技術者が言うと、レオがまた皮肉を言う。
「それ以前に透明なカメラが要るよ」
「あなたのような優れた監督と働けるのは大変な名誉」
「法廷と調整室は屋根を走るケーブルで結ばれる」とレオに説明するミルトン
法廷と調整室は屋根を走るケーブルで結ばれる。プレス室も法廷と結ばれ、撮った映像が流れるとレオに説明したミルトンは、スタッフを紹介する。
年長でカメラマンのヤコフ 、ロルク 、ミレク 、フレッド らだ。
ヤコフがレオに挨拶する。
「反ファシズムを撮っているあなたのような優れた監督と働けるのは大変な名誉です。あなたのような方が“赤狩り”に遭うなんて」
「カメラを隠す。法廷の内部に埋め込む」
「これから政府の報道官と会うが、彼は政府が契約した手前、許可が下りるか心配している」とミルトン。
「下りないと?」
「今までに投じた50万ドルが水の泡だ。契約を結んだ37カ国もアウト。この先何十年もテレビ業界の笑い者だ」
なぜか報道官との接触はアラブカフェだった。コーヒーが美味いのが理由だという。
報道官は言う。
「新聞は“世紀の裁判”と書き立てるが上司たちはそれ以上と見ている。この国では“生存者”たちは蔑視されている。まるでホロコーストに加担したかのように。彼らに何が起こったのか、世界は耳を傾けるべきだ、生存者自身が語る言葉に。ラジオが生中継するが、世界は“見る”べきだ。自宅の居間のテレビで。君たちは撮れると言った。判事は承認すべきだ」
ミルトンが「あなた方が穏やかに判事に要求してみては?」と言うと、報道官はすかさず応える。
「ナチスと違ってイスラエルは司法の独立を侵害しない。君たちは我々を難しい立場に追い込んだ。テレビ放映は大きな賭けだ。幾つもの首がかかっている」
他局への変更も臭わされ、3日のうちに何とかするように報道官から宣告されたミルトンは、レオが先ほど調整室で言った“透明なカメラ”という言葉を思い出し、閃く。
「カメラを隠す。法廷の内部に埋め込む。壁に窓を開けるんだ」
アイヒマンの写真や記事を切り抜き壁に貼るレオ
車でホテルまで送ってもらったレオは、フロントでフルヴィッツと名乗ると、受付の女性から「ホロヴィッツさんね」と返される。
「ユダヤ人?」
「そうだ」
「この土地は熟睡できるわよ」
部屋に入ると新聞が置いてあり、アイヒマンの記事が一面だ。
レオはアイヒマンの写真や記事を切り抜き、壁に貼った。
誰もがファシストになり得るか
「我々の目的は法廷の出来事を映像にして伝えること。細部を見せる。アイヒマンの顔、手、判事や弁護士の表情、アイヒマンの喋る姿、反応や動きがほしい。彼が感情を押し殺してもそれは身体的な反応になって現れて来る」
怪物などいない。しかし、人間は怪物的行為に責任がある。
というのがレオの考えだ。
「何が平凡な男を変えたのか。子煩悩なありふれた男を。何千人もの子どもを死に追いやる人間に変えたのか。我々と同じ人間を」
するとスタッフの1人、ヤコフが異を唱える。
「我々は違う。我々はアイヒマンではない」
「状況によっては誰もがファシストになり得る」とレオが言うと、
「私はならない」とヤコフは引かない。
「誰でもなり得る」
「私は違う」
共産党員だという理由で撮影から外されたミレク
警察の警護がついたものの不安なミルトンは自宅前でもバットを握り辺りを見回す。
ミルトンに「制作を中止しろ」と脅迫する電話がかかってきた。
「アイヒマン親衛隊中佐の裁判は許さん。すぐ立ち去らないと妻子の命はないぞ」
脅迫はニューヨークにいた時は何度かあり、番組の制作発表後に脅迫状が2度会社に届いたことがあった。
当局は警護をつけてくれることになったが、スタッフのミレクの撮影許可が取り消された。
理由はミレクが共産党員だから、彼が被告を襲撃する怖れがあるというもの。
ミルトンはミレクを撮影から外し、調整室のレオの隣で働かせることにしたことをスタッフに告げる。
レオが突然部屋を出て行ったので、それをミルトンが追う。
「はねつけろよ」
「当局は極度に過敏になっている。妥協するしかないよ」
「赤狩りの10年の苦労話をするか?」
「ああ、そしたら僕も君を雇った時の苦労話をする。冗談だろ?」
「もっと使いやすくて優秀な監督がいるだろ」
「ベストがほしい。今の焦点は判事の許可が下りるかどうかだ。下りなきゃ一環の終わり」
「明日は判事を直接法廷に案内しろ。賭けに出るぞ」
壁に窓枠を開け、カメラを操作する秘策で判事の許可
法廷から調整室に案内された判事は、自分たちの映像が再生されているモニターを見て驚いた。
いったいどこから、どうやって?、と。
「カメラを隠すため壁を改造しました。壁に窓枠を開け、その中でカメラを操作するんです。窓枠は金網で覆い、金網越しに撮影しますが、法廷からは見えません。これで懸念が払拭できますか」
夜、夫婦で風呂に浸かって、判事が許可しなかった時の心配をしていると、ドアをノックする音が聞こえる。
ミルトンはガウンを羽織り、バットを手にドアへ。
「誰だ?」と問うと、
「報道官です」
判事の許可が下りたのだ。
ミルトンはレオに会ってそれを伝える。
「やったぞ。ナチ党員番号889805、親衛隊員番号45326、アイヒマンの裁判を撮影する。現実になったぞ」
「素晴らしい」
ミルトンは妻と風呂に入り直すと言って家に帰った。
「ヒトラーが自殺してもファシズムは死なない」
4月11日、いよいよ裁判が始まった。
「被告は15の訴因を含む起訴状により当法廷に起訴された」と裁判長が告げ、訴因について有罪か無罪かをアイヒマンに問う。
アイヒマンは「無罪」を主張した。
録画テープはニューヨーク、ロンドン、パリ、ベルリンなど世界の各都市に空輸された。
「素晴らしい仕事に乾杯!」と皆で祝杯をあげたその日の夜、ベランダでエルサレムの街を見るレオに弁護士のダヴィドが聞く。
「外に出ると君はいつも街を見てるね。何を探してる?」
「この国を理解しようとしている」
「150万人が生きようとしている」
「皮肉だな。アイヒマンとナチスが我々を結んだ」
「イスラエルは大昔からある」
「概念はね。現実は違う」
レオはニューヨークにいた時、エルサレムポスト紙の友人編集者にある提案をしたが困惑されたことを話す。
この裁判について毎回社説を書き、ファシズムについて討論するという企画を提案したのだ。
ダヴィドは言う。
「意外か?過去より現在の問題が山積みだ」
「ヒトラーが自殺してもファシズムは死なない。どこに家を建てようと存在し得る」
「この国は新生児だ。自分の脚で立とうともがいている」
「君は収容所に?」
「いたよ」
「生存者として彼をどう思う?」
レオの質問には答えずにダヴィドは中へ戻って行った。
脅迫の手紙に妻エヴァは「卑怯者に屈服するの?」
プロデューサーのミルトンと妻のエヴァ
ミルトンの自宅で食卓の上に置いてあった封書を妻のエヴァが開くと、それは「一家全員皆殺しだ」と記された脅迫状だった。
これが爆弾だったらと怯える妻を「単なる脅しだよ」となだめるが、
「ただの脅しで実害がないと言い切れる?」と押して来る妻に、
「君が止めろと言うなら止めるよ」とミルトンが妻の性格を読んでかこう言うと案の定、
「卑怯者に屈服するの?」
世間の関心はガガーリンとキューバ危機
ハウシュナー 検事長の冒頭陳述が始まった。
しかし世間の注目はソ連のガガーリンの宇宙飛行とキューバ危機に向かっていた。
ガガーリンと比べるとアイヒマン裁判は暗い過去、ガガーリンは明るい未来だ、裁判は退屈だ、とある女性からレオとミルトンは言われる。
検事長は、イスラエルにアイヒマンを裁く権利があるか否かを3日に渡って演説していたのだから無理はない。
視聴者が少なくて苛立つミルトンは、
「ソ連の宇宙飛行、キューバ危機を倒せ!」とレオに言う。
「ムリだ。待つのが反撃だ。証人の証言が始まるまでは。プロデューサーなら落ち着け。不安を皆に見せるな。我々を信じろ。証言が始まれば勝つ」
「負けたら?」
「君の人選ミスだ」
証人たちの証言が始まると皆あまりの惨さに沈黙
いよいよ証言が始まった
収容者の労働部隊員ミヒャエルエル・プロドチェレングニク (Michael Plodchlebnik)の証言(要約)
我々は地下室にいた。そこには親衛隊員がいて、皆を大きな棒で叩いてトラックに乗せた。中から叫び声が聞こえた。エンジンが動くとガスが流れ込む。すると叫び声が止んだ。
次の日、25人全員が穴を掘っていた。そこにトラックが1台やって来た。到着してすぐには車に近づく許可が出ない。車からガスがすっかり消えるあで待たされた。5〜6人がドアを開け、死体を運び出し、穴のそばに置いた。
何度かそこで働かされた後、運ばれて来たのは私の町の人々だった。私の2人の子どもがいた。私はその子らの遺体の横に横たわり「殺してくれ」と懇願した。
この証言を聞いてスタッフは皆、沈黙してしまった。
手榴弾を持ったナチスの残党に襲われたミルトン
放送がナチの残党の精神を刺激したのだろう。
手榴弾を持った男がミルトンの会社に侵入し、「ウソを垂れ流すな!薄汚いユダヤ野郎め!」と叫んだが、ミルトンの部屋の前で警護員に捕らえられ、寸前で事なきを得た。
警護員に連れて行かれる時、侵入者は、「大勢が後に続く」と言い残し、「ハイル・ヒトラー」と叫んだ。
視聴者が多いことと身の安全の確保
ミルトンがスタッフに、2つのことを伝える。
1つめは、視聴者調査の結果、毎晩大勢が僕らの番組を見ている。世界の普通の人々が驚き、衝撃を受けている。
2つめは、身の安全。警戒してくれ。出勤時は車の下を調べろ。尾行されていないか、どんな些細なことでも警護員に連絡しろ。
それを聞いてレオがミルトンに言う。
「脅迫のこと、なぜ黙ってた?」
「君は手一杯だろう」
「仲間だろう、水臭い。次は必ず教えろ」
「分かった」
「ここでは自由な空気が吸える」とホテルの女主人
ホテルのフロントにいる女性にレオが聞く。
「ミセス・ランドー 、ひとつ質問が。戦後の”帰還者”ですよね」
「チェコスロバキアから。で?」
「ここが好き?」
「五つ星を経営したいわ」
「ホテルの話ではなく、イスラエル」
「英国と独立戦争を戦い、次はアラブ諸国と」
「しかしここはアラブ人の土地だった」
「必要だったの」
「ここは祖国ですか」
「世界が与えてくれたわ。今は祖国よ」
「何をそれほど愛する?」
「ここでは自由な空気が吸える。ユダヤ人なら感じるはずよ。(質問は)それだけ?」
撃たれた墓穴に倒れたが死体の山の中から這い出た女性の証言
虐殺部隊からの生存者リヴカ・ヨセレウスク (Rivka Yoselewska、女性)の証言(要約)
逃げようとした若者たちは射殺された。衣服を剥ぎ取られた。墓穴に向かって立たされ、男が私の子を取り上げた。子どもは泣き叫び、そして撃たれた。男は今度は私を狙った。私の髪をつかみ振り向かせた。墓を見ろと命じ、後ろを向かせて私を撃った。私は墓穴に倒れ込んだが、気づいた。私は生きている。窒息しそうになって死体をよじ登り、上へ出ようとした。私は上りながら感じた。死体が私の足を引っ張っていると。最後の力を振り絞り、上にたどり着いた。ものすごい数の死体が並び、端まで見渡せなかった。
この証言の途中、カメラマンのヤコフの様子がおかしくなった。
「息ができない。気分が悪い」
少し落ち着くと、ヤコフが自分の体験を語った。
「私が送り込まれたのは強制収容所だった。戦闘機を作る工場で働かされた。奴隷そのものだ。誰の体も骨と皮。小さなミスでも殴られた。身体中アザだらけだった。体を洗う時、分からなかったよ、これが自分の体だって」
仕事の続行はムリだというミルトンに、ヤコフは言う。
「重要な仕事だ。続けたい。あの人たちは初めて感じているんだ。話していいんだと。本当に初めて傍聴人が身を乗り出して自分たちの話に耳を傾けている姿を見た。顔をそむけずに」
監督レオもミルトンももムリしないほうが良いと説得するが、ヨセフは、「君らを失望させたかな」と言い、涙を流す。
証言の最中に耐えきれず卒倒して崩れ落ちた証人
アウシュヴィッツの生存者イェヒエル・デヌール は(Yehiel Dinur)は、証言中に卒倒してしまう。
ところがアイヒマンの表情の変化を狙うレオは、その瞬間を撮りそこねてしまう。
「まさかだろう、レオ。最大の見せ場だ。人間ドラマだぞ」
「本物の人生だ。クソTVショーじゃない」とレオが返す。
「クソTVがどうした。君の芸術的感性はさておき、カネはイスラエル政府が出している。裁判全体を撮れ!君はアイヒマンに憑かれている」
「なぜ君は違う?」
「ふざけるな。法定の出来事を撮るのが君の仕事だ。悪魔についての個人的調査じゃない」
「両立は?」
「片方が邪魔になる。僕の番組ではありえない」
「見解の相違だ」
「見解なんてクソ喰らえだ! 僕が雇用主だ。調査は自分の時間にやれ」
証言される多くの幼い子どもたちの犠牲
目撃者ジョルジュ・ヴェレス (George Wellers)の証言(要約)
1000人の子どもたちを乗せた移送列車が4回。この生きた積み荷は素早くトラックに移され、作業は迅速に行われた。哀れな子どもたちは混乱し、怯え、やがて静かに固まって降りてきた。2~4歳の子もいた。
イェフダ・バコンの証言(要約)収容時14歳
収容部隊の職長が気の毒がって言った。”子どもたち、外は寒い”。”ガス室に入って暖まりなさい”。暖をとる時そこに時々入った。遺灰を道路に撒いた。収容所の道路が滑らず歩きやすくなるからと。
息抜きでドライブに出て自由なベドウィンに遭遇
ミルトンはレオに休息を取らせる。
郊外にジープでドライブだ。
助手席のミレクが運転するレオに言う。
「ミルトンに言われた。ドライブの間、アイヒマンの話はするな、息抜きだからと」
「分かった」
「何を考えています?」
「アイヒマン」
3人のボロ衣装を纏った男女と10頭ほどの山羊が道路の先を塞ぐ。
「あの人たちは?」
「ベドウィン 。彼らに国境や政府の概念はありません。誰とも組まず敵対しない。自由に遊牧するんです」
それを聞いたレオは、
「仲間になろう」
「誰もがファシストになり得ることを自覚し、誘惑に打ち勝つために」
豊かな自然の地にドライブしても結局、レオの頭からはアイヒマンが離れない。
「あの男を見て、どう思う?」
「主人に絶対の忠誠を誓う犬」
「彼が証言を聞き、人並みの反応を見せれば、ファシストは怪物ではなく普通の人間だと分かる」
レオは相変わらずそこに拘っていた。
「それを見る必要が?」
「誰もがそうなることを自覚し、誘惑に打ち勝つために」
「証言では崩れなかった」
「虐殺の実際のドキュメンタリー映像を見せる。銃殺、ガス、大量殺人。抑圧した感情が嫌でも露呈する。それが映像の力だ。違うか?」
「あなたの信念?」
「私が学んだことだ。長年の経験から。映像を見る彼を我々が見る。その時、初めて真実が見える」
「なぜ座ってられる?目もそむけず、たじろぎもせず」
アイヒマンは酷い映像を見ても人間らしい反応を見せない。
暗くして、アイヒマン一点に当てられたライトの中、アイヒマンにドキュメンタリー映像「収容所へ続く道」を見せ、それをレオたちのカメラが捉える。
裸にされ骨と皮だけの少年、死体の山、死体の山をブルドーザーが単なる物を扱うように移動するさまなどが映し出される。
その光景に耐えきれず外へ出る者もいるが、アイヒマンの表情は変わらない。
「なぜ座ってられる?目もそむけず、たじろぎもせず」とレオ。
アイヒマンは右手中指をメガネのフレームにかけたままじっと映像を見ている。
「アイヒマン親衛隊中佐の証言が永遠に残ることが重要だ」
ドキュメンタリーを見せても何の反応も見せなかったアイヒマン。
自信を失ったレオはミルトンに言う。
「降りる」
「反対尋問が始まるよ」
「あの検事にはムリだ」
「では、それを撮れ」
「君か、ミレクがいる」
「ミルトン製作、フルヴィッツ監督作だ。僕なしではこの番組は作れず、君なしでは死視聴者がそっぽを向く。放り出すのか。失敗だと言うのか」
「そうだ。私の基準では失敗だ」
「彼の人間性が暴けないからか。頼むよ、レオ。彼に人間性が欠落していたら?」
「信じられない」
「彼が自分を巨大な虐殺装置の小さな歯車と考えていたら?検事が虐殺装置に言及すれば、彼はそれを証明するだろう。僕らはそのすべてを記録する」
「今日こそ素顔が現れると思った。人間性の欠片を見せるかと」
「そんな問題じゃない。今この時から誰がどう否定しようがナチ政権下のユダヤ人に何が行われたか、アイヒマン親衛隊中佐の証言が永遠に残る。他でもない、この事実が、これが重要だ。それを考えろ。残るよな? 来てくれ」
「どこに?」
「彼の独房にケーブルを」
独房に行くと、レオは鉄格子越しに後ろ姿のアイヒマンを見る。
アイヒマンは視線を感じてか振り返った。
「あなたのおかげで耳を傾けてくれるようになった」
ホテルでレオは、壁に貼った何枚かの新聞の切り抜きを剥がした。
ホテルの食堂で食事を済ますと、ミセス・ランドーが近寄って来て聞いた。
「おいしかった?」
「ありがとう」
彼女の左腕に刻印された番号が見える。
「毎日聴いている、ラジオで。最初は、ホロヴィッツさん…」
「フルヴィッツ」というレオの訂正にもお構いなく、彼女は続ける。
「私たちは口を閉ざしていた。でも聞かれる。”あなたは誰、何があったのか?”と。それで、ありのままを話すと”ウソだ。作り話だ”、”そんなことはあり得ない”と。みんなは信じてくれず、私たちは沈黙した。裁判が始まってからはその人たちが耳を傾けてる。バスで、店で、カフェで、彼らが聴いている。今朝は市場で少女に腕の番号のことを聞かれた。世界中の人が見てるのでは?」
「そう聞いてる」
「あなたのお陰よ」
首を横に振るレオ。
「あなたのお陰」
ミセス・ランドーはもう一皿の料理を持って来て「プリーズ」と言ってレオに差し出した。
空腹ではないが、レオはその料理を有り難く口に入れた。
検事長がアイヒマンと対決
1961年7月11日、遂に裁判は大詰め。検事長がアイヒマンと対決する日が来た。
無抵抗のユダヤ人をどのように扱ったについてのアイヒマンの供述書を検事長が読み上げる。
検事長が「そう言ったか」と確認する。
アイヒマンは立ち上がり、「私は知らない」と答えた。
ーー言ったのか言わなかったおか。イエスかノーか・
「酔っていたか、言ってないか、あるいは捏造か」
「クソ!ウソつきだ!」とミルトンが調整室で叫ぶ。
収容所のルドルフ・ヘスに関する質問に対し、アイヒマンは答える。
「私は誓いを破ることは考えられる限り最大の罪だと思っている」
ーー150万人の子どもを含む600万人の人間を虐殺することよりもか?」
「もちろん違う。だが私はやってない。虐殺に関わってない。ユダヤ人虐殺に関わった者は犯罪者ですか?」
ーー犯罪者か。イエスかノーか。
「質問に答えられない。そんな局面に直面していないから」
ーーアウシュビッツのヘスは犯罪者か? 殺人者か?
「私は命じられてもできないとヘスに言った」
ーー彼を殺人者と思うかどうか聞いてる。
「今日も答える意志はない。私の心の奥の感情は私の内に留めておく」
ーーユダヤ人を虐殺するヘスをどう思ったか? 犯罪者と思ったか?
「哀れみ、気の毒だと思った」
ーー犯罪者だと思ったか。
「感情を明かすことはしない」
「死の行進」の「提案」をアイヒマンに認めさせた検事長
ーーブダペストからオーストリアまでの、5万人のユダヤ人の”死の行進”について、命じたのは警察長官だったが、あなたが企てたか。
「それはあり得ない。当時私はベルリンにいた」
検事長は、供述書の62ページをアイヒマンに読ませた。
”もはや鉄道は使えないので、私の提案によってブダペストからオーストリア国境まで歩かせた” ”これは治安警察と治安局の要請に応じたもので” ”私自身は命令してない。提案しただけだ”
ーー提案したんですね。
「確かにその点は認める」
調整室のミルトンが叫ぶ。「仕留めたぞ」
弁護士のダヴィドも「彼の負けだ」
アイヒマンに死刑判決、翌年絞首刑に
8月14日の休廷後、収容所への列車移送に関し、判事はアイヒマンの有罪を宣告。
「たとえ被告が盲目的にせよ、命令に従ったにせよ、かくも重大な犯罪に加担した人間は、最大級の罰を課されるべきである。当法廷はアイヒマンに死刑を宣告する」
1962年5月31日、アイヒマンは絞首刑に処せられ、遺灰は海にまかれた。
112名の証人が収容所の実態を語り世界に衝撃を与えたテレビ史上初の記録映像シリーズで、ミルトンはピーボディ賞を受賞し、アメリカのテレビ界で成功を収めた。
監督のレオは、その後も監督を続け、名門ニューヨーク大学で教鞭をとった。
後にミルトンは、講演でこう語っている。
「自分は他者より優秀に創られたと一度でも考えた者はアイヒマンと同じ地平にいる。そして一度でも鼻の形や肌の色や信仰する神の違いによって他者に悪意を抱いた者は、理性の喪失が狂気への道と知るべきだ。このような事からすべてが始まったのです」