『シンドラーのリスト』あらすじ,ネタバレ,キャスト,感想,赤い服

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本当に心に残る名作を観たいので紹介してください。

そんなあなたのご要望にお応えします。

それは、『シンドラーのリスト』です。

モノクロで3時間以上の映画と聞くと尻込みする人がいますが、

苦痛でも退屈でもなく、あっという間です。

ナチスが作ったユダヤ人居住区(ゲットー)や収容所を舞台に、ある1人の事業家が1,100人のユダヤ人を救った実話をもとに、あのスピルバーグ監督が映画化した不朽の名作です。

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『シンドラーのリスト』あらすじ

ポーランドのクラクフ

1939年、ナチスドイツ占領下のポーランド。

戦争を利用して一儲けしようという野望を抱くドイツ人実業家シンドラーは、ナチ党員になって軍の幹部に取り入り、ナチスがユダヤ人から没収した琺瑯(ほうろう)容器工場を払い下げてもらう。

ゲットーにいるユダヤ人の優秀な計理士シュターンをスカウトし、軍需工場を立ち上げる。

安価な労働力としてユダヤ人たちを雇い入れ、実務はシュターンに任せ、社交的で女好きな自分はひたすらナチスの将校を接待し、賄賂を渡す役に徹する。

事業は軌道に乗り、規模を拡大してゆく。

しかし一方、ナチスによるユダヤ人殺害は日ごとにエスカレートし、ついに大量虐殺が始まる。

ユダヤ人従業員と親交を深めて行くうちに、次第に彼らが遭遇する凄惨な光景に胸を痛めるようになって行く。

いつしか彼らの命を、私財を擲(なげう)ってでも救おうと密かに決意するのだった。

『シンドラーのリスト』解説

演技の指示を出すスプルバーグ監督

スピルバーグが長年あたためていたT・キニーリーの原作を1993年、遂に映画化。

ナチスのホロコーストは今や広く知られているが、実話に基づいた映画として目の前にまざまざと生々しく提示し、そんな状況下、1人のドイツ人ナチ党員の実業家シンドラーが、1,100人のユダヤ人を救った話だ。

本作は、アカデミー賞7部門(作品・監督・脚色・撮影・編集・美術・作曲)に輝いた。

これが実話である事に愕然とし、心を打たれるが、3時間を超す長尺にもかかわらず、まったく飽きさせないスピルバーグの構成力・演出力には感嘆する。

同時期に本作とは対照的な大娯楽作『ジュラシック・パーク』をスピルバーグは製作している。

娯楽作を成功させて来たからこそ、こうした芸術映画を作ることができたわけで、スピルバーグの懐の大きさ、バランス感覚の良さを感じる。

『シンドラーのリスト』主な登場人物

オスカー・シンドラー(リーアム・ニーソン)
ドイツ人でナチ党員の、社交的で女好きな実業家。故郷はチェコのブリンリッツだが、ポーランドのクラクフへ出て、琺瑯鍋工場を買い取り、ドイツ軍相手に軍需工場を始める。賃金が安いという理由でユダヤ人を雇い始めるが、彼らと親交を深めるうちに彼らを助けたいと思うようになる。

イザック・シュターン(ベン・キングズレー)
ユダヤ人だが、計理士としての腕を買われ、シンドラーにスカウトされる。シンドラーの右腕となり、経営面を任される。1人でも多くの同胞を助けるため、書類を捏造してナチに殺されそうな弱者を優先的に工場の従業員にする。

アーモン・ゲート(レイフ・ファインズ)
SS(ナチス親衛隊)の将校(赴任当時は少尉)で、クラクフ郊外に建設されたプワシュフ収容所所長に就任。冷酷非情な人物で、何の理由もなく次々と収容所内のユダヤ人を射殺する。メイドに雇ったユダヤ人のヘレンに恋愛感情を抱くようになる。

ヘレン・ヒルシュ(エンベス・デイヴィッツ)
アーモン・ゲート収容所所長に気に入られ、収容所を見下ろす所長の屋敷のメイドに雇われる。アーモンの気まぐれで自分も射殺されるだろうと絶望の日々を過ごしている。

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『シンドラーのリスト』感想

人生とか運命って本当に奇なるものだと思う。

自分が経営する会社を、父親が経営していた会社より大きくし、カネを儲け、女遊びをすることを夢見ていた男。

その男がユダヤ人たちを雇ったナチスの軍需工場で成功し大金持ちになるが、そのおカネを使ってユダヤ人を虐殺から救うことになるのだから。

また、収容所の所長だったアーモン・ゲートが、賄賂に転ばない信念の人だったら、ユダヤ人を救うことは出来なかったのだから。

シンドラーがユダヤ人の計理士シュターンと出会わなければ、工場の成功もなく、結果としてユダヤ人を救うこともできなかった。

人間的にもシンドラーは、シュターンの影響を受けて変わっていったのだから、この2人の出会いがあったからこそ、1,000人以上のユダヤ人を救うことができたわけだ。

ドイツが無条件降伏して戦争が終わり、シンドラーが工場を去る前のユダヤ人たちとのやりとりには胸を打たれる。

ナチスの非人間的な残酷さが、ゲットーおよび収容所の所長であるアーモン・ゲートを通じて強烈に描かれている。

理由もなく殺す恐怖によってユダヤ人を支配し、カネに転ぶナチスの将校アーモン・ゲート所長と、ナチ党員ではあるがカネ好き、女好きの事業家オスカー・シンドラー。

ユダヤ人を殺しまくり、戦後絞首刑に処された軍人と、ユダヤ人を雇い儲けまくったが、そのカネを遣い、多くのユダヤ人の命を救い、感謝された事業家。

この2人の運命を分けたものは何なのか。

シンドラーとシュターンがアーモンについて、こんな会話を交わす場面がある。

「戦争は常に人間の最悪の部分を引き出す。平和な時ならあいつも普通の男だ。いい面しかオモテに出ない。ワルではあるだろうが。旨いものと酒を喰らい、女遊び、金儲け…」

シュターンが、シンドラーの言葉に続ける。

「人殺し」

「楽しんではいない」と言うシンドラーに、シュターンは反論する。

「収容所の外で作業中に逃亡した者がいたんです。アーモンは全員を並ばせて1人を撃ちました。そして順に各列1人おきに、25人も」

「どうしろと?」と聞くシンドラーにシュターンは、

「何も。ただの話です」と答えるだけだ。

筆者は、どちらの言う言葉も間違っていないと思う。

アーモンの心には揺らぎが見られる。

「我々の『殺す力』を恐れるのさ」と語るアーモンに、シンドラーが、

「そう、『理由なく殺す力』をね。でもそれはパワーじゃない。パワーとは人を殺す正当な理由がある時に殺さない力だ」と言うと、

「それがパワー?」とアーモンは感化され、その後しばらくは無闇にユダヤ人を殺すことを止める。

また、メイドに雇ったヘレンに好意を持ち、「お前が好きだ」と告白しながら、ヘレンが答えに困って黙っていると、「やめておこう。汚れたユダヤ女。誘惑する気か?」と、ヘレンのせいに転化する。

一見強いアーモンは本当は弱い人間で、一見弱いヘレンは強くて、その強さに惹かれていたのかもしれないと思う。

シンドラーがアーモンに莫大なカネを提示してユダヤ人を助けることになるのだが、穿った見方かもしれないが、ひょっとしたらアーモンはシンドラーの企みを分かったうえで1,100人のユダヤ人を『売った』のかもしれないとも思う。

アーモンの心の揺らぎを見ていると、そうも思えてくる。

多くのユダヤ人を銃殺したアーモンが? とも思うだろうが、ヘレンをリストに加えて連れて行こうとするシンドラーに対する彼の反応も揺らいでいた。

手放さない、戦後ウィーンに連れて行ってメイドにし、一生面倒を見るとアーモンはシンドラーに言う。

「正気か? ウィーンに連れて帰れるものか」とシンドラーに言われると、

「分かってる。そうしたいだけだ。それができないなら、せめて最後の慈悲で苦痛がないよう背後から頭を撃つ…」

と言った後に、シンドラーが先ほど提示した金額を問い直し、結局了承する。

明らかに揺らいでいる。

そう言えば、アーモンはいつも銃殺する時、後方から頭を撃っていたような…。

ナチスのこうした行為を肯定するつもりはないが、人というものは矛盾を抱えて生きている。

特に人を狂気に陥れる戦争においてはそうだと思う。

ユダヤ教の司祭(ラビ)が食卓のローソクに火を灯す場面をカラーで描き、その後モノクロに転じ、再びラビがチェコの工場で祈る場面でローソクの炎に色が付く。

他に色が付くのは、あるユダヤ人少女が着ているコートの赤色。

こうしたスピルバーグ監督の演出は素晴らしい。

ほとんどをモノクロにすることによって、想像力が刺激されるし、古くならない。

1993年の作品なのに今見てもまったく古さを感じない。

また、スピルバーグの演出については『NewWeek』の記事が興味深い。

「普段と全然違うスタイルでやりたかったから、撮影機材は半分にした。クレーンもなし、レールもなし。手持ちカメラを多用することは、決めてたわけじゃない。ただ、技巧を排除して事実を身近に感じてもらいたかった」

シンドラーが皆と別れる時、ユダヤ人たちが金歯から戻した金で作った指輪をプレゼントずる。

その指輪に刻まれたユダヤ教聖典「タルムード」の言葉、

「1つの生命を救う者が世界を救える」

にも心が打たれる。

『シンドラーのリスト』は、不朽の名作だ。

赤いコートの少女の意味

必死に生き延びようとする赤いコートの少女がシンドラーの心に変化を呼び起こす。

モノクロ映像の中で、色があるのは最初と最後と、少女の赤いコートだ。

食卓のキャンドルの炎が消えるとともにモノクロになるのは、暗い時代に突入する象徴、最後に再びキャンドルの炎に色が付くのは明るい時代に戻る象徴だろう。

では1人の少女のコートにのみ色があるのは何を意味するのか。

シンドラーの心に影響を与える象徴、良心を呼び起こす象徴だと言われる。

カネと女や名誉にしか興味のなかった俗物男を、私財を擲(なげう)ってでもユダヤ人を救おうとする人間に変える象徴となっているのだ。

シンドラーが赤いコートの少女をじっと見つめる場面があるが、この時、彼の心の中に、ある種の変化が起き始めているわけだ。

技術的には、赤い色はCG加工の、VFX(ヴィジュアルエフェクト)で彩色されている、いわゆる「パートカラー」。

かつて黒澤明が「天国と地獄」で使った手法(当時はフィルムに着色)で、「シンドラーのリスト」も、黒澤明へのオマージュだと言われている。

実際のオスカー・シンドラー

オスカー・シンドラー 画像:http://www.auschwitz.dk/

オスカー・シンドラーは、メーレン(当時オーストリア領、現チェコ領)生まれのズデーテン・ドイツ人の実業家。第二次世界大戦中、ドイツにより強制収容所に収容されていたユダヤ人のうち、自身の工場で雇用していた1,200人を虐殺から救った。

1945年11月から1950年5月まで、彼はレーゲンスブルクにいた。しばらくアルゼンチンに赴き、毛皮をとるためにヌートリアの飼育も手掛けたが、農場を閉鎖せざるを得なくなる。そこで貿易商の仕事をしたのち、ドイツに帰国した。ドイツでは、セメント工場の仕事をし、これもまた1961年に倒産に追い込まれた。次から次に事業に失敗し、資金繰りで奔走しているシンドラーの噂は彼が救ったユダヤ人にも伝わる。彼らは、シンドラーをイスラエルに招待した。
この時点から、オスカー・シンドラーの「二重生活」が始まる。つまり、年の半分を彼が隠居生活をしているフランクフルトで過ごし、他の半分をエルサレム在住の、彼が救ったユダヤ人たちの下で過ごすということである。このような生活は、彼が1974年にドイツのヒルデスハイムで死ぬまで続けられた。彼の墓は彼自身の希望により、エルサレムのローマ・カトリックの教会墓地にある。

1999年、彼の最後の恋人アーミ・シュペート(Ami Spaeth)の住居の屋根裏部屋から、シンドラーが親衛隊に取り入るために作成したありとあらゆる書類のすべてが詰まったひとつのカバンが見つかった。生活必需品のすべての支出が事細かに記載されたものである。今日の通貨価値にして、総額100万ユーロを食糧・賄賂・贈物として支払っていたのである。
妻エミーリエとは1957年以来疎遠となっており、離婚こそしなかったものの再び相見えることはなかった。夫の死の20年後、彼女は夫の墓前で次のように胸中を明かした。
「やっと会えたのね…。何も答えを聞いてないわ、ねえ、どうしてわたしを見捨てたのかしら…。でもね、あなたが亡くなっても、わたしが老いても、ふたりが結婚したままなのは変わらないし、そうやってふたりは神さまの御前にいるの。あなたのことは全部許してあげたわ、全部…」
晩年、身寄りはバイエルンに居る姪一人きりだったシンドラー夫人は、アルゼンチンのサン・ビセンテでペットに囲まれて過ごす。自宅には反ユダヤ主義の極右過激派から守るため、アルゼンチン警察の制服警官が24時間常駐していた[14]。2001年7月のベルリン訪問中、彼女は記者たちに、人生最後の時間をドイツで過ごすことが最大にして最後の望みであり、更にホームシックがどんどん重くなっていると語った。そして10月、ベルリン市内の病院で亡くなった(93歳)。

引用元:Wikipedia
チェコのブルニェネツ(旧ブリンリッツ)に残るシンドラーの工場跡 photo by Miaow Miaow

実際のシュターン

イザック・シュターン

1901年1月25日 – 1969年。ユダヤ系ポーランド人の会計士。イザック・シュターン(英語読み)は、イツァーク・シュテルンとも表記される。『シンドラーのリスト』で、実業家オスカー・シンドラーの会社D.E.Fの会計士として知られる。元はポーランド、クラクフの織物会社であるブーフハイスター商会の会計主任、後にプログレス産業の従業員だった。クラクフ・ゲットーが解体されてからはクラクフ・プワシュフ強制収容所内のオフィスで働いた。シンドラーが工場をブリンリッツに移転した際、シュターンも工場の従業員として移った。シュターンとシンドラーの関係は、当初は単にビジネスライクだったが、次第にに深い友情で結ばれるようになった。シュターンが1969年に亡くなった際、シンドラーは人目を憚ることなく号泣したという。映画でシンドラーがシュターンを貨車から救い出すシーンがあるが、実際に救い出されたのはシュターンではなく、シンドラーの会社の事務主任アブラハム・バンキールであり、映画はあくまでフィクションである。

参考元:Wikipedia

実際のアーモン・ゲート

アーモン・ゲート親衛隊将校

アーモン・レオポルト・ゲート
1908年12月11日 ‐ 1946年9月13日ウィーン生まれ。ドイツのナチス親衛隊将校。第二次世界大戦中、クラクフ・プワシュフ強制収容所の所長を務めた。戦後にポーランドの法廷から戦争犯罪人として起訴され、ユダヤ人虐殺の責任を問われて死刑判決を受け、刑死した。親衛隊における最終階級は親衛隊大尉。父フランツは軍事専門書を扱う「アーモン・フランツ・ゲート出版社 」のオーナーだった。ゲート家はカトリックを熱心に信仰する家庭で、経済的には上層中産階級に位置した。当時高級品だった自動車も所有していた。

ゲートはウィーンの小学校を卒業した後、実科ギムナジウムを出る。その後、ヴァイトホーフェン・アン・デア・ターヤの大学で経済学を学び、卒業後にはウィーンに戻り、父の会社で働いた。

学生時代からナチズムに共感し、1925年に国家社会主義ドイツ労働者党オーストリア支部(オーストリア・ナチス)の青年組織に参加した。やがて不統一なオーストリア・ナチスより護国団の方に惹かれ、1927年には護国団の中でも特に反ユダヤ主義が強い「シュタイアーマルク郷土防衛」のウィーン支部に入団した。しかし1930年にオーストリア・ナチスと護国団の議会選挙共闘の試みが失敗した後には、ナチスに賛同してシュタイアーマルク郷土防衛から離れている。
1931年5月31日にナチ党に正式な党員として入党。1932年に親衛隊(SS) に入隊(1930年入隊説もある)。1933年春に親衛隊軍曹、1941年11月に親衛隊少尉に昇進。あまりの残虐さから「ルブリンの血に飢えた犬」と呼ばれた。1943年2月11日に「クラクフ地区親衛隊及び警察指導者のプワシュフ強制労働収容所」の所長に任命される。親衛隊少尉クラスとしては異例の所長就任だった。

データ引用元:Wikipedia

映画で描かれなかったもう一人のシンドラー

オスカーの妻エミーリエ・シンドラー

エミーリエとオスカー 引用元:http://www.auschwitz.dk

映画では偶に会う妻としてしか描かれなかったオスカーの妻エミーリエ・シンドラーだが、実は彼女もユダヤ人救出に尽力した、もうひとりのシンドラーだった。

そのため、映画で彼女のそうした面を描かなかったスピルバーグ監督を批判する人もいる。

エミーリエは、1907年10月22日ズデーテン・ドイツに生まれ、1928年にオスカー・シンドラーと初めて出会い、6週間付き合った後の1928年3月6日にオスカーの故郷であるスビタビ郊外で結婚した。
「彼は愛想がよく、親切で、非常に寛大で慈善的でしたが、同時に、まったく成熟していませんでした。彼は絶えずウソをついて私をだまし、その後、いたずらに巻き込まれた少年のように、もう一度許してほしいと頼み、私は気の毒に思って戻りました。それから、私たちは最初からやり直しました… 」
1938年、失業中の夫オスカー・シンドラーはナチ党に入党し、ポーランドのクラクフに移ったが、妻のエミーリエはスビタビに残った。オスカーは、破産していたエナメル製品工場の所有権を獲得し、Emaillewaren-Fabrikと改名。右腕のシュターンの力もあって工場は軌道に乗り、大儲けした。しかし、お金が足りなくなったとき、エミーリエは宝石を売って食べ物、服、薬を買った。彼女は、闇市場で購入した医療機器を持って、チェコ保護領ブリンリッツのキャンプにある秘密の療養所で病気の労働者の世話をしたりもした。
戦後、シンドラー夫妻は、数十人の「シンドラーのユダヤ人」とともに、アルゼンチンのブエノスアイレスに逃げた。 1949年、彼らは農民としてそこに定住し、ユダヤ人組織によって財政的に支援された。
1957年、破産したオスカー・シンドラーは妻を捨てて独りドイツに戻り、1974年に死去した。
彼らが離婚した事実はないが、二度と会うこともなかった。

1993年、映画『シンドラーのリスト』の制作中に、エミーリエと多くの生き残った「シンドラーのユダヤ人」がエルサレムにあるオスカーの墓を訪れた。彼女は映画で彼女を演じた女優、キャロライン・グッドールを伴っていた。
エミーリエはシンドラーについてこう語っている。
「なぜあなたが私を捨てたのかわからない…でも、あなたの老後や死後さえも変わらないのは、私たちがまだ結婚しているということです。私たちは神の前にいます。私はあなたを許している、すべてを… 」

エミーリエは、ブエノスアイレスの南西40 kmにあるサンビセンテの小さな家に、50匹のペットと長年住んでいた。彼女はイスラエルとドイツから少額の年金を受け取った。アルゼンチンの警察は、反ユダヤ主義の過激派グループから彼女を警護するために24時間体制で彼女の家を警備した。

晩年のエミーリエ

2001年7月、ベルリンへの訪問中に、エミーリエは記者団に、最後の数年間をドイツで過ごすことが彼女の「最大かつ最後の願い」であると語った。
彼女は、94歳の誕生日の2週間半前の2001年10月5日の夜、ドイツのシュトラウスベルクのメルキッシュ・オーダーランド病院で、脳卒中で亡くなった。
彼女はミュンヘンから約1時間離れたヴァルトクライブルクにある墓地に埋葬された。彼女の墓石には、「Wer einen Menschen rettet、rettte die Ganze Welt(「1人の命を救う者は、全世界を救う」)」の言葉が刻まれている。

エミーリエは、第二次世界大戦中の行いに対し、いくつかのユダヤ人組織から表彰された。 1994年5月、シンドラー夫妻は、戦争中にアンネ・フランクとその家族を匿った女性ミープ・ヒースとともに、イスラエルのホロコースト国立記念館「ヤド・ヴァシェム」から「諸国民の中の正義の人賞(the Righteous Among the Nations award)」を受賞した。
1995年に、彼女はアルゼンチンの元首ではない外国人に与えられる最高の名誉である「5月の勲章」も受章している。彼女の人生は、エリカ・ローゼンバーグの著書『光と影が出会う場所』に影響を与えた。
彼女はトマス・キニーリーの著書「シンドラーの箱舟」と、それに基づく映画『シンドラーのリスト』に登場し、キャロライン・グッドールが演じている。

参考:Wikipedia英語版

『シンドラーのリスト』データ

日本版ポスター
英語版ポスター

題名 『シンドラーのリスト』 原題『Schindler’s List』
原作 『Schindler’s Ark』
公開 1993年11月30日
上映時間 195分
製作国 米国
言語 英語

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『シンドラーのリスト』キャスト

シンドラー役 リーアム・ニーソン(Liam Neeson)1952年6月7日生まれ。北アイルランド出身の俳優。本作出演時は、41歳。

ダブリンのアビー・シアターの一員になり、舞台俳優としてキャリアをスタートさせる。映画監督ジョン・ブアマンに見出されて、1981年に『エクスカリバー』で映画デビューを果たした。
1993年公開のスティーヴン・スピルバーグ監督映画『シンドラーのリスト』でオスカー・シンドラーを演じてアカデミー主演男優賞にノミネートされた。また、同年には『アンナ・クリスティ』でブロードウェイデビューを果たし、トニー賞にノミネートされる。1996年公開の『マイケル・コリンズ』でマイケル・コリンズを演じてヴェネツィア国際映画祭 男優賞を受賞。
1999年公開の『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』では主役のクワイ=ガン・ジンを演じた。
2010年には再びスピルバーグとタッグを組み、エイブラハム・リンカーンを演じることが決まっていたが、このプロジェクトは時間がかかり過ぎ、「58歳になった自分が56歳で死去したリンカーンを演じるのはふさわしくない」と降板を決意した。
2015年、スパイクテレビ主催のガイズ・チョイス・アワードで「ビゲスト・アス・キッカー(最もタフな男)」賞を受賞 。

引用元:Wikipedia


イザック・シュターン役 ベン・キングズレー(Ben Kingsley)1943年12月31日生まれ。イギリスの俳優。1982年の『ガンジー』でアカデミー主演男優賞を受賞。

父はインド人の医師、母はイギリス人のファッションモデル・女優。父はケニア生まれで、先祖はイギリス領インドのグジャラートからやってきたイスラム教徒だった。父方の祖父は香辛料を売買する商人で、インドからザンジバルへ移住した。
父と同じく医師になるつもりだったが、19歳のときに観た『リチャード三世』の舞台に感銘を受けて俳優を志すようになった。1966年にビートルズのマネージャーが製作したロンドンの舞台で、ナレーターとギターと歌を担当したのが初舞台。閉演後にジョン・レノンとリンゴ・スターに音楽の道を進むように勧められたこともあるという。
1967年にロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに招かれ、シェイクスピア役者として活躍した。1970年代にはテレビにも多く出演した。1982年の『ガンジー』でアカデミー主演男優賞を受賞した。その他に『バグジー』『セクシー・ビースト』『砂と霧の家』で3度アカデミー賞の候補になっている。

引用元:Wikipedia


アーモン・ゲート(Amon Göth)役 レイフ・ファインズ(Ralph Fiennes)

1962年12月22日生まれ。イギリスの俳優、映画監督、映画プロデューサー。『ハリー・ポッター』シリーズに、最も恐ろしい闇の魔法使いであるヴォルデモート役で出演。 

ファインズは王立演劇学校で舞台俳優としてのキャリアをスタートさせ、1988年にはロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに参加。1995年にはブロードウェイで『ハムレット』に主演し、トニー賞を受賞。 
1992年公開の『嵐が丘』で幼馴染に裏切られ復讐を誓うヒースクリフ役で主演する。翌年、『シンドラーのリスト』で悪役であるSS将校アーモン・ゲートを演じ、米英両国のアカデミー助演男優賞にノミネートされる。アメリカではノミネートに止まったが、英国アカデミー賞では受賞した。 
2011年にはウィリアム・シェイクスピアの悲劇『コリオレイナス』を現代の戦争映画風に翻案した『英雄の証明』を製作・監督・主演し、映画監督としてデビューした。 
2014年公開の『グランド・ブダペスト・ホテル』では好色なホテル支配人ムッシュ・グスタヴ役で主演し、英国アカデミー賞 主演男優賞、ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門)にノミネートされた。

引用元:Wikipedia


エミリエ・シンドラー(Emilie Schindler)役 カロリーヌ・グッダル(Caroline Goodall)1959年11月13日生まれ。ロンドン出身のイギリスの女優、脚本家。キャロライン・グッドオールと表記されることもある。

両親はオーストラリア出身。ブリストル大学で演劇と英文学を学ぶ。卒業後、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに所属。
1990年代から、『フック』、『クリフハンガー』、『シンドラーのリスト』、『ディスクロージャー』など、多くの話題作に立て続けに出演する。

引用元:Wikipedia


ポルデク・ペファーベルグ(Poldek Pfefferberg)役 ジョナサン・サガル(Jonathan Sagall)April 23, 1959年4月23日生まれ。トロント出身のカナダの俳優、プロヂューサー、監督。


ヘレン・ヒルシュ(Helen Hirsch)役 エンベス・デイヴィッツ(Embeth Davidtz)1965年8月11日生まれ。アメリカの女優。『マチルダ』(1996年)のミス・ハニー役。『アンドリューNDR114』 (1999)、『ブリジット・ジョーンズの日記 』(2001)、『13ゴースト』 (2001)等に出演。

『シンドラーのリスト』クリエイター

監督 スティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg)Photo by Gage Skidmore 1946年12月18日生まれ。アメリカの監督。『ジョーズ』 (1975)、『未知との遭遇』 (1977)、『レイダース 失われたアーク《聖櫃》』 (1981)、『E.T. 』(1982)、『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』 (1984)、『グレムリン』 (1984)、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』 (1985)、『ジュラシック・パーク 』(1993)、『プライベート・ライアン』 (1998)、『恋におちたシェイクスピア』(1998)、『A.I. 』(2001)、『ER緊急救命室』 (1994)等、関わった人気作品は多数。

脚本 スティーヴン・ザイリアン(Steven Zaillian)
原作 トーマス・キニーリー(Thomas Keneally、オーストラリアの作家)『Schindler’s Ark』(シンドラーの箱船)
製作 スティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg)、ジェラルド・モーレン(Gerald R. Molen)、ブランコ・ラスティグ(Branko Lustig)
製作総指揮  キャスリーン・ケネディ(Kathleen Kennedy,)
音楽 ジョン・ウィリアムズ(John Williams)
撮影 ヤヌス・カミンスキー(Janusz Kamiński)
編集 マイケル・カー(Michael Kahn)

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